Monday, August 22, 2011

EEL EXPO TOKYO


(日本養殖新聞報導)
鰻博覽會-這不可思議之物-EEL EXPO TOKYO」,於2011年7月16日,在東京大學綜合研究博物館開展。這個博覽會展示了鰻魚生態研究的成果,及鰻食文化和養殖、漁業等珍貴歷史資料。
報導中指出,日本展覽之後,展會還將到法國.丹麥.荷蘭.臺灣續展



鰻(うなぎ)博覧会―この不可思議なるもの

(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v16n2/v16n2_kuroki.html)
黒木真理 (本館助教/魚類生態学)

 土用の丑の日が近づくと、自然と鰻屋に足が向く。ウナギは夏の季語、蒲焼きは夏の風物詩だ。万葉集にある大伴家持の歌はつとに有名で、古く万葉の時代からこの魚が滋養強壮の食べ物であると知られていた。浮世絵の題材にも多く取り上げられ、落語や川柳にも度々登場する。古典落語の「鰻の幇間」は、八代目桂文楽の十八番であった。

 一方で、彼らが海の彼方から何千キロも旅してやってきたことを知る人は意外と少ない。細長いヘビのような体つきや、どこにあるのかはっきりしないウロコやエラは、この生き物が魚であることさえ忘れさせる。古代ギリシャの大博物学者アリストテレスは、旺盛な好奇心をもってウナギの繁殖生態を調べてみた。しかし、卵をもった親も生まれたばかりの子もどこにも見つからなかった。結局、その大著『動物誌』のなかで「ウナギは泥の中から自然発生する」と記述している。ウナギは昔から謎の多い生き物だった。

ウナギの自然科学

 ウナギは卵から生まれる。こんな簡単なことが明らかになるのに2千年もかかったというのは多少大袈裟かもしれない。しかし、この事実がはっきり証明されたといえるのは、ウナギの人工孵化が成功した1973年であり、天然のウナギ卵が発見されたほんの一昨年、2009年のことであるから、長い科学の歴史からいえば、つい最近のことであるといってよい。これほど長くウナギの繁殖の実態がわからなかった理由は、ウナギが遙か彼方の外洋で卵を産むためだ。川や湖、あるいは沿岸で産卵する魚であったなら、人々は卵をお腹いっぱいもったウナギの親を見て、その繁殖生態について幾ばくかの知識を早くからもっていたはずだ。

 東京大学におけるウナギの産卵場研究は、1973年の研究船「白鳳丸」(当時東京大学海洋研究所所属、現海洋研究開発機構所属)の調査航海に始まった。その後、現在まで約40年間に亘ってウナギの回遊と繁殖生態に関する調査研究が続けられている。推定産卵場は、当初黒潮流域の沖縄南方海域と考えられていたが、黒潮を遡るにつれ、より小さな仔魚が採れたことで、台湾東方海域からフィリピンのルソン島東方海域へと南下していった。さらに海流を遡っていくと、東の方ほど小サイズの仔魚が採れることがわかり、推定産卵場は東へ移っていき、最終的にマリアナ諸島の西にある海底山脈の海域でウナギ卵が採集され、産卵場問題は決着した。つまりウナギ産卵場調査の歴史は、広大な海の中でより小さい仔魚を求め続けた歴史だった。

 東京大学が組織したこの40年間の調査研究は、ニホンウナギの分布する日本、韓国、中国、台湾の研究者のみならず、アメリカ、ドイツ、インドネシア、フランス、カナダ、ニュージーランドの研究者との国際共同研究として実施され、多くの研究実績を挙げた。産卵場調査から得られた成果は、海洋生物全般の繁殖、回遊、生活史に関する基礎生物学的知見となるだけでなく、現在世界規模で激減しているウナギ資源の保全と管理に役立つ。さらに、人工シラスシラスウナギの大量生産技術の開発研究にも貢献すると期待される。
ウナギの社会科学

 現在、日本人は年間約10万トンもウナギを消費している。そのうちの99.5%以上は、河口周辺で採集した天然のシラスウナギを池で飼って大きくした養殖ウナギで、漁業による天然ウナギの生産量は微々たるものだ。日本の養鰻は明治の中頃、今から130年前に始まり、人工飼料の開発や養殖技術の改良により飛躍的に発展した。加えて近年では、中国や台湾から養殖ウナギの輸入が増え、その量は日本の全ウナギ消費量の約7割にも達している。しかし養殖用の種苗となるシラスウナギの資源量が世界的に激減し、養鰻業は危機に直面している。

 養殖種苗の安定供給を目指して、卵から人の手で育てた人工シラスウナギを作ろうと人工種苗の生産技術に関する開発研究が1960年代から始まった。現在、実験室レベルの生産は可能となったが、養鰻業に種苗を供給するまでには至ってない。この技術が完成すれば、養鰻業に寄与するだけでなく、天然シラスウナギに対する乱獲を緩和させ、天然資源の保全に繋がる。また健全な自然河川環境が取り戻せれば、天然ウナギは増えるに違いない。減少した資源の回復と保全のために、人工シラスウナギの開発研究を急がねばならない。

ウナギの人文科学

 そもそも日本人はいつごろからウナギを食べるようになったのか。全国各地の縄文時代の遺跡からウナギの骨が出土する。身近な川や沼で捕れるウナギは私たちの祖先の貴重な食べ物であったにちがいない。ちょっと風変わりな形や動きをもつこの生き物は、食べ物として身近に利用されているうちに、生活の言葉のなかに「うなぎのぼり」や「うなぎの寝床」などの慣用句が生まれていった。また文学や浮世絵として描き残された。さらに人との距離が縮まって、美術工芸の題材としても取り上げられるようになり、単に食べ物としての「鰻」は、親しみ深い生き物の「うなぎ」となっていった。

 一方でウナギは、敬い、畏れる対象として伝説や信仰の世界にも登場する。ポリネシアやミクロネシアの島々には先祖はウナギであると信じ、トーテムとする家系が多くある。また、ヤシの実の起源を伝える、ウナギ神とヒーナの悲恋の伝説も南太平洋のいたるところで語り継がれている。我が国では、大洪水から村を救ったウナギの伝承が各地に残り、その地域の人々はウナギを祀り、これを食べない。また、虚空蔵菩薩信仰の流布に伴い、そのお使いとされるウナギの禁食の習慣が全国にみられる。その特異な形態や強い生命力から、多くの文化・宗教において「不老不死」や「永劫回帰」のシンボルとされるヘビのイメージにダブり、ウナギにも同様な象徴的意味が見いだされて、精神世界にも登場するようになった。

 この鰻(うなぎ)博覧会の目的は、「ウナギ(鰻、うなぎ)」という生き物を多方面から科学して、包括的に理解することである。これを達成できたかどうかは、実際に展示を見てくださった方々のご判断をまちたい。しかし、準備の過程で、多くの方々からご教示いただいた貴重な知識を一堂に集めて、これらを一挙に展示・俯瞰してみることには、ある程度成功したのではないかと思う。そうした展示を見ていただくことによって、ウナギのもつ新たな一面が発見され、この生き物に対する見方が豊かにひろがることを期待する。また、これが人々の心にウナギへのさらなる慈しみを育て、絶滅に瀕した種の保全に繋がれば幸いである。
 この展示は、国内外の博物館・研究機関、ウナギの生産、流通、販売に携わる事業者など、多くの方々のご協力があってはじめて開催することができた。関係者各位に厚くお礼を申し上げる。そして、ウナギというこの不可思議な生き物が、いつまでも我々の身近にいてほしいと、心から願う。









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