ウナギの世界史
「ウナギは「大地のはらわた」から生まれた」?
―アリストテレスが言ったこと―
昔の人がウナギのことをどう見ていたのか?というとき、しばしば
「古代ギリシャの哲学者アリストテレスが「ウナギは「大地のはらわた」から生まれた」
と言った。」と紹介される。
さらに要約して「アリストテレスは「ウナギは泥の中から生まれた」と言っている」と
紹介されることも少なくない。
この一文をして、「あの古代の哲人アリストテレスですら間違いを犯す」とか、
ときには「アリストテレスは嘘をついた」などと言われることすらある。
しかし、アリストテレスの文献を確認すると、アリストテレスは
「ウナギが「大地のはらわた」から生まれた」とは言っていないことがわかる。
また、アリストテレスはウナギが海で産卵・孵化することこそ解明できなかったが、
ウナギの形態や生態について詳細に記述している。
本稿ではアリストテレスの記述を丁寧に確認するとこで、科学の先駆けともいえる
アリストテレスの復権をはかりたい。
・「ウナギは「大地のはらわた」から生まれた」のか?
この一文の典拠となっているのは、アリストテレスの『動物誌』(Historia animalium)という
文献である。『動物誌』は全十巻にわたりさまざまな動物の生態について解説した文献で、
もともと刊行の予定のない講義録のようなものだったと考えられている。
アリストテレスの活躍した紀元前4世紀の著作である。
日本語訳は『アリストテレス全集』第7巻,岩波書店,1968に収録されており、
本稿ではおもにこれを参照した。
・『動物誌』の記述
アリストテレスの『動物誌』は、分類されたそれぞれの生物についてまとめている
のではなく、生物の形態・機能・生態・交尾方法などでまとめられ、
そこでそれぞれの生物について記述している。
したがってウナギについての記述も各所に分散しているのだが、
くだんの「『大地のはらわた』から生まれた」とされる記述は、生物の産卵・生殖について
記述している第6巻において、ほかの魚とは独立した第16章をひとつあてて記述している。
以下にその第16章の全文を引用したい。
「ウナギは交尾によって生れるのでも、卵生するのでもなく、
いまだかつて白子を持っているものも卵を持っているものもとれたことがないし、
裂いてみても内部には精管も子宮管(卵管)もないので、有血類の中でもこの類だけは
全体として交尾によって生れるのでも、卵から生ずるのでもない。明らかにそうなのである。
なぜなら或る池沼では、完全に排水し、底の泥をさらっても、雨の水が降ると、
またウナギが出てくるからである。しかし日照りのときには、水のたまった沼にも
出てこない。雨の水の中で生き、身を養っているからである。
ところで交尾によって生れるのでも 、卵から生じるのでもないことは明らかであるが、
或るウナギには小さな寄生虫がいて、これらがウナギになると思われるので、
ウナギが生殖すると思っている人々もある。しかしこれは正しくないのであって、
ウナギは泥やしめった土の中に生ずる「大地のはらわた」と称するものから生ずる
のである。またすでにこれら(大地のはらわた)からウナギが出てくるところも
観察されているし、これら(大地のはらわた)を切りきざんだり、切り開いたりすると、
ウナギがはっきり見えるのである。また海や川の中でも、ことに腐りやすい所には
こういうもの(大地のはらわた)が生ずるので、海では海藻のあるような所、
川や沼では岸のあたりである。こういう所では太陽熱が強くて腐敗を起こすからである。
さて、ウナギの発生については以上の通りである。」
(アリストテレス『動物誌』第6巻第16章 570a3〜25 島崎三郎訳に一部改訳)
(Aristotle,Historia animalium,tr.A. L. Peck,Loeb classical library t437-438,1965-70.)
・アリストテレスの記述の検証
アリストテレスは、たしかにウナギがほかの魚類と同じように雌雄があり、産卵によって
繁殖することを突き止めることができなかった。
(ウナギの卵巣が発見されたのは1780年代)
しかし、ウナギが外見上雌雄の区別がつきにくいこと。
成熟した親ウナギでも産卵場に向かう以前には体内に卵が形成されていないこと。
常に水に満たされているのではない、ときには干上がってしまうような湖沼にも生息
していることなど。実際の観察を積み重ねて、
「ウナギはほかの魚とは異なる特殊な繁殖をする」という結論にたっしている。
これは結論こそ誤りだが、フィールドワークから回答を導き出そうとする生物学研究の、
しごくまっとうな手順だといえる。
また、うなぎの体内から小さな生物が発見されることがあり、これがウナギの子どもであり、
ウナギが胎生であるという誤った説が当時からあることに対しても、この小さい生物が
寄生虫であると看破している。この寄生虫をうなぎの稚魚だと誤解する見解は、
その後復活し、19世紀にいたるも訂正されなかったという。
うなぎの生活史から体内解剖まで情報を総合したうえで結論を導いており、
その手法自体はむしろ尊敬されるべきだろう。
もちろん、ウナギに関するすべての情報をアリストテレス自身が実際に見聞したかは
確証がないが、『博物誌』で知られる大プリニウスPliniusが、有名な都市ポンペイが埋没した
ベスビオス火山の噴火の調査に赴き、二次噴火に巻き込まれて死亡したことが
伝わっており(西暦79年8月24日)、ギリシャの哲人たちが自らの足で調査に赴くことを
いとわない姿勢がうかがわれる。
・「大地のはらわた」とは何か?
ところで「大地のはらわたと呼ばれるもの」とはどんないきものだろう?不思議なことに
『動物誌』では他の箇所でこの「大地のはらわた」についてふれられていない。
土の中から見つかるはらわた状に細長い生き物という連想から、邦訳ではミミズでは
ないかとしているが、裏付ける根拠はない。
それにウナギが繁殖するために他の生き物の中にいるというのもどこか違和感がある。
それゆえ、伝聞の過程で「大地のはらわた」が生き物ではなく、土の中の比喩的表現と
とられるようになってしまったのも、むしろ自然の成り行きのようにおもえる。
ウナギは完全な水中でなくても、濡れた地面や泥の中を這って移動することができる。
こうした「泥の中でうごめくウナギ」のビジュアルが「神様が土をこねて形をつくり、
命を吹き込んで生物が誕生した」という創造神話を連想させることも、誤解が定着する
一因だったかもしれない。
また、ウナギの繁殖については、アリストテレスと同時代からさまざまな考えが
説かれている。それらについてはあらためて紹介したい。
参考文献
アリストテレス『動物誌』,アリストテレス全集 第7巻,岩波書店,1968.
Aristotle,Historia animalium,tr.A. L. Peck,Loeb classical library t437-438,1965-70.
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